【番外編】麻原彰晃の死刑

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この留置場ブログとは直接関係の無いことなんだけど、

俺は麻原彰晃の隣に座ったことがある。

 

だから2018年7月6日に死刑が執行されたこともあるしそのことを書こうと思う。

 

麻原彰晃(本名:松本智津夫)はオウム真理教の代表で、とてつもなく悪いことをした人間。

 

最近の若い子は(この言い方好きじゃないけど)オウムの事件を知らない人も居るし、事件は1995年とかだから知らないのも当然なのかも知れない。

 

 

まぁ麻原の事はウィキペディアでも見てもらえれば良いかなと思う。

 

ウィキペディア麻原彰晃

 

今日はそんな麻原彰晃の隣に座った時の話をしたい。

 

 

読んでいる方の中には

 

お前もオウムの仲間かっ!

 

と思われる方も居るかも知れないが、俺は全く宗教や神・仏に興味がない。

 

俺が麻原の隣に座ったのは、護送車の中だ。

 



 

確か2005年だったと思う。

俺は当時少年で、その時は万世橋署だか久松警察署の留置場に居て、8月の19日とか22日とかその辺だったと思う。

 

その時も俺は再逮捕地獄の真っ最中で、東京地方検察庁に向かう準備をしてた。

 

今はどうか知らないけど、当時は大人も子供も同じ腰縄で1本で繋がれてて、護送車の中では悪い大人たちが

 

『お兄ちゃんは何したんだよ!?』

『逮捕初めて???』

 

なんて話しかけてくることが多々あった。もちろん車内は私語厳禁なんだけど、結構緩かったし、護送車も一番デカいサイズだから全然喋ったりしてた。

 

でもその日は全てが全く違ってた。

 

その日の腰縄は俺が先頭だった。

 

留置場から降りて護送車に乗る直前、留置場の担当者が

 

『ちょっと待って』

って止めてきた。

そして

『中で何があっても絶対に話すなよ。何かあっても絶対に騒ぐなよ』

って初めて謎の忠告を受けた。

 

護送車に乗るとその理由がすぐわかった。

 



 

護送車はいくつも警察署を周って検察庁や裁判所に行くんだけど、俺の居た警察署の1個まえの警察署の最後に乗ったのが麻原だった

 

これは大袈裟でも冗談でも無く、シートに座る麻原を見た瞬間に全身の鳥肌が立ち、初めて味わう空気の重さ(もちろん護送車だから元々重いんだけどw)を感じた。

 

腰縄を護送車の中のロープに付け替えてる間も俺は全く麻原を見れなかった。

 

そして横に座った。

 

マジでその日は護送車の中で誰も話さなかった。一言も。

 

そして麻原は終始小声で何かをブツブツ言ってた

 

何て言ってるかは全く聞き取れなかったけど、本当に念仏みたいなことをずっと。

 

俺はずっと

『何でこんな有名人がVIP(単独移送)じゃねーんだろ』

ってずっと考えてた。

 



 

後から新聞で見たけど、その日は麻原の精神鑑定の日だったらしい。なんで単独移送じゃなかったのかは不明。

 

語弊があったら困るけど、麻原にはオーラがあった。

 

その場を支配するような、本当に空気が違った。

 

そんな麻原も昨日死刑になったらしい。

 

当然だ。

 

死刑でも軽いくらいだろ。

 

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逮捕当日 -前編-からどうぞ。
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(※本文に登場する人物はすべて仮名です)

2件のコメント

  1. こんばんは。逮捕からのお話とても面白かったです。
    何よりも久松警察署の名前が出てくるなんて思いませんでした。
    日本でも1,2を争う小ささらしいですよ。2番目は大阪だったかな?
    懐かしいです。1年前ですが笑

    1. コメントありがとうございます!

      久松ってそんなに小さいんですか!?!?あそこの自弁は最高でした(笑)

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